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Soliloquy in non-daily life

ただのひとりごとの、くりかえし

とうとうきたか、

という言葉しか浮かびませんでした、正直。
一生忘れられない週末に、一瞬にしてなった。

金曜日、揺れが来て、最初はそうでもないだろうと思っていたら、想像以上の揺れが来て、流石に隠れないとと思って机の下にいました。
それから何度か余震が来て、一度外に避難。
必死に唯一繋がったtwitterで情報収集して、入った情報を見て絶句しかしなかった。
有り得ない光景が、ニュースが、沢山入ってきて、自然の恐怖を初めて感じた。
手が震えてた、正直。
案の定電車が止まりどうしようと職場に残っていたんですが、職場のJR組が帰れないの確定だったので皆開き直って宴会状態でした。
でもかえってそれに凄い心安らいだ。
大体9時ごろに半蔵門線が動くと情報が入ったので、職場のチーム足立区で帰ることを決意。
押上までしか行けなかったから、そこから歩いて北千住へ行こうと決めた際、一人の女性と一緒に歩こうとなり、4人で向かいました。
一時間半、頑張って歩きました。
最初近かったスカイツリーも、遠くなっていたのを見た時は凄い感動した。
あと4人で家に帰ったら絶対これしないとっていうことを言い合っていたりしていて、その時凄いはげまされた。
足が痛かったけど、一時間半かけて歩いたよ北千住まで。
そして職場のバイトさん二人と別れて、一緒に歩いた女性の旦那さんが車で迎えに来てくれたのに乗せていただけました。
本当に、本当に有難いとしか言えなかった。
そんなこんなで家に着いたのが夜の1時、9時半に出たから3時間半かかった。
でも、着けたということに、玄関空いた瞬間、ただただ泣いた。
皆に帰れたと言ったら本当に良かったねと言ってくれて、その言葉にも涙でした。
家帰って改めて足を見たら血が出てた。でもこれはしょうがない、家に着くまでの苦労。
今回歩いていた人たち3人に「本当にいなかったら帰れなかったよ、有難う!」って言われたけどそれは私もだよ・・・。
でも今回、真面目な話47年前の新潟大地震を体験した母の話を聴いていたからこそ、動けたんだと思います。
母曰く、今回の地震、東京はまだ立っていられたからマシだそうな・・・それを言ったら祖母なんか多分でかい地震4回味わってるもんな・・・。

そして原発に関しては信じるしかない、という一言です。
あまり此処では詳細書けませんが(詳細はついったとかmixiとか)、今多分そこらへんの人よりヒヤヒヤしている立場の人間なんで、ね・・・。

あと、今の生活大変になるかなぁと思っていたんですが色々と見なおす機会になりました。
仮に電気消えなかったら「今日の分は節電でまかなえたんだ」と思えばいいし、百貨店や専門店の照明の暗さが結構丁度いいなーとも思えるし。
個人的にスタバの照明の暗さがかなりいい、あれくらいの間接照明で夜過ごしたいという願望持っているせいもあるけど。
これから長い節電ライフ、復興、苦難が待っているだろうけど、過去の日本を考えたら絶対乗り越えられると思う。
此処ではなるべく普通に書いていこうかと思ってます。
皆「あの時あんなことあったよねー」と、笑えるように、今を頑張ろうぜ。